うさぎの書庫

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いつか薄れていくはなし

香水を、首元にシュッとふりかける。

漂う、甘くて切ない香り。


あの人の香り。


香りというのは思い出そうとすると難しいのに、香りを嗅いだときには多くの記憶を呼び覚ます。


今も痛いくらいに鮮明に、彼と過ごした時間が思い出せる。


自分でも分かっていた、一緒に過ごす時間が、あまり長くはないことを。


だから、この一瞬を目に焼き付けようと必死だった。


ある日、


彼からメールが来なくなった。突然のことだった。


目に滲んだ涙を拭うことなく、鼻腔を心地よく満たす香りに心を委ねる。


──大丈夫


心の中で呟く。


どんな思いも、いつか薄れていくことを、私は知っているから。


香水の香りが、薄れるように。

記録する少年のはなし

まだ幾分か幼い少年二人が机に座っている。

一人はなにやらビー玉を大きくしたような球体を指で弄び、もう一人は熱心になにやら紙に書き込んでいる。


「さて、そろそろだよ。」

そう言われて、球体で遊んでいた少年が顔を上げる。


僕たちには大事な仕事がある。


それは、この宇宙のデータを集め記録すること。


世界には銀の幕が落ち、カーテンに縫い付けられた星がキラキラと光っている。


「今日も綺麗な夜だ。」


相方が満足そうに頷く。

こんな風に雲が晴れて澄んだ夜は、仕事がしやすい。


様々なデータ。

善いものも悪いものも、等しく平等に集められ記録され、

"いつか" のための道しるべとして膨大な量の書物として残される。


書庫には、宇宙が始まってからの全ての歴史が記され、そして現在までの有り様が、ぎっしりと文字の羅列としてそこにある。


だけど。


「僕たちは無力だ。こんなにも押し寄せる悲しみにも助けにも、応えることができない。戦争も何もかも、ただ見ているしかできない。」


「だから」

もう一人が真剣な顔で答えた。


「僕らは記録する。そうだろ?同じ過ちを、おかさないように。」


「うん。」


今日も、明日も、その次の日も、僕たちは記録する。


僕たちがいなくなったあとの、誰かが困らないように。




お題より

「夜」「きれいな世界」「伝記」

終わる恋のはなし

空が青い。


あの日の空も、こんな青だったろうか。深くて、淡いベビーブルー。

あの日と同じ空なのに、私たちはこんなにも変わってしまった。


あの日。私たちは付き合い始めた。あんなにも想い合っていた二人。じれったい恋の終わりの、この胸いっぱいの幸福感。これ以上の幸せなんてないと思えた。


それから二人は幸せだった。のに。なぜこうなってしまったのだろう。


例えるなら、擦り切れたスニーカーの靴底みたいだと思った。新品のピカピカの靴が、使ううちに歩き方の変な癖で片側だけ擦り切れてしまうのだ。


擦り切れた二人の関係。


積もるのはただ、自分と相手どちらへのか分からない罪悪感と、空白を繋げるような虚しさだった。


今は、キリキリと痛かった胸が嘘みたいに軽い。


恋心と胸の痛み、消えたのはどちら?


....両方。


私は心の中で呟いた。